海外技術協力

セネガル職業訓練センター創立20周年を迎えて

九州ポリテクカレッジ 情報技術科

(九州職業能力開発大学校)

岩元 敏郎

1.はじめに

 1984年2月にセネガル職業訓練センタープロジェクトが開始されてから,2004年2月で20年を迎える。それを祝して2004年3月24日に当センターにおいて20周年記念祭が盛大に行われた。

 当日は,中島駐セネガル大使をはじめ,セネガルの職業訓練担当大臣,職業訓練局長等が来校され,地元テレビ局や新聞社が取材にやってきた。記念祭は24日,25日の2日間行われ,センターを一般に開放したので,地元の住人も数多く訪れ大いに賑わった。その記念祭でわれわれ日本人専門家全員にライオン勲章という勲章が授与された。セネガルで実施されたプロジェクトに関して勲章が贈られたのは,このプロジェクトが最初である。このことからも,いかにわれわれの20年間のプロジェクトがセネガル側に感謝されていたかがわかる。

 20年とは,実に長い期間である。この20年の間にセネガルでは大統領が変わり,経済危機に直面したり,街中にネットカフェが出現したりと大きく変化してきた。当センターにおいても数多くの日本人がこのプロジェクトに携わってきた。この20年間を振り返りながらセネガル職業訓練センター拡充プロジェクトを紹介し,最後にセネガルでの生活を紹介する。

2.日本-セネガル職業訓練センター

 セネガル職業訓練センターの正式名称は,Centre de Formation Professionelle et Tehnique SENEGAL/JAPONであり,通称CFPTと呼ばれていて,ダカールの中心から約14km離れたところに存在する。CFPTには,BTIコース(中学卒レベル対象)とBTSコース(高卒レベル対象)の2コースがあり,BTIコースは,電気科,電子科,機械科,自動車整備科の4科から編成されている。BTSコースは,工業情報技術科と制御技術科の2科から編成され,2004年10月からは,制御技術科が電気制御科と機械制御科の2科に分かれ3科編成となる。また現在新しい実習棟,学生寮が4.の写真にあるように建設中であり,組織,訓練コース,建物などすべてにおいて拡大中である。

 BTIコースの定員は各科10名であり,BTSコースは各科12名の定員であるが,12名中2名は外国人枠であり,近隣諸国からの受入を行っている。このようにCFPTは,セネガル共和国だけではなく西アフリカ諸国においても,重要な施設なのである。

 設立当初,センターの周りには家もなく砂漠の丘にポツリとこのセンターだけがあったと,当時を知る人から聞いていたが,現在はブロックで作られた一見豪華に見える家が所狭しと立ち並び,正門前の道路は,車の往来が激しい。夕方になると正門前はカールと呼ばれるバスが停まり,夜間コースの学生がぞくぞくと降りてくる。非常に活気のある施設である。

3.技術協力の背景

 セネガル共和国という国を簡単に説明すると,その国土は197,161km2(日本の約半分)で人口は1000万人弱,その95%がイスラム教徒である。中心産業は,落花生栽培などの農業が中心でその次が漁業である。一次産品価格の低迷や漁獲高の低迷などにより,財政赤字,国際収支赤字,対外債務問題が恒常化していた。しかし政府が緊縮財政,構造調整,民営化などに努力した結果,経済は上向き,高い水準で成長してきた。その一方で,構造調整の影響として失業の増加,都市部への人口の集中,貧富の差の拡大等による社会不安も増大しており,失業,貧困対策や経済の多様化が大きな課題となってきた。わが国は,セネガル政府からセネガル第5次国家経済開発計画に基づいて,技術協力の要請を受け,職業訓練分野では初めて,西アフリカフランス語圏に長期専門家を派遣し,1984年から1991年(延長を含む)まで7年間,日本-セネガル職業訓練センタープロジェクトへの技術協力が行われた。この第1次プロジェクトでは,中学卒業者を対象としたテクニシャン資格(BTI:Brevet de Technicien de l’Industrie)取得を目的として技術移転が行われ,数多くの優秀な卒業生を送り出し,産業界からも質の高さを認められCFPTは高い評価を受けていた。

 しかし,国際社会における産業技術の高度化,情報化の進展に伴い,セネガルにおいてもより一層高い技術資格を有する技能者のニーズが高まると同時に,高等教育の多様化が求められてきた。これを受けてセネガル政府は,1995年3月にディプロマ(短大卒)レベルの上級技術者資格(BTS:Brevet de Technicien Superieur)を大幅改正し,それまで秘書業務等一部分野しか認めていなかった同資格をほかの分野まで拡大し,バカロレア資格取得者(高卒レベル)向けのBTS取得コースの開設を認めた。

 このような状況のもとで,CFPTにおいて短大レベルの高度な職業訓練の実施の為BTSコースの開設を計画し,その実現のため1997年7月にわが国に対し技術協力の要請がなされ,1999年4月から5年間のセネガル職業訓練センター拡充プロジェクトの協力が行われた。この第2次プロジェクトは,2004年3月で計画通り終了することとなった。

4.訓練生数の推移

 1984年センター開所時から2002年までの訓練生数の推移をグラフに示す。

 1984年から1999年まで,BTIコースは5科で編成されている。1科の定員が10名であるので1学年の定員は50名である。これが3学年あるから訓練生在籍者定員は,150名である。グラフからわかるように第1次プロジェクトが終了して第2次プロジェクトが始まる1999年までの在籍者数の推移をみると,定員の150名を常に確保して運営されていることがわかる。2000年は,家電修理科が廃科になり1学年4科になったにもかかわらず昼間コースは157人の在籍者があった。さらに驚くことに1993年から始まった夜間訓練は,右肩上がりに在籍者数が増加し,1986年には夜間在籍者数が昼間在籍者数を抜いて逆転している。その後は,さらに増加し昼間定員の2倍近くになっている。日本人がいなくなった後も定員を確保し,さらに夜間コースも昼間の2倍もの在籍者数を確保できているのは,CFPTの職業訓練の質が非常に高く,社会から高い信頼と評価を得ているからではなかろうか。

 次に新たに開設されたBTSコースの工業情報技術科,制御技術科の受験倍率の推移は表のとおりである。

 表に2001年,2003年のデータがない。理由は,2001年は,2000年に大規模な学生によるストライキが発生し,それが長期間続いたため全学年の留年が決定し,2001年度の入学試験が実施できなかった。2003年については,インド国が設立したJ15(ジェイキャーンズ)という職業訓練センターがあるのだが,そこと共同で入学試験を行った。故に今までのデータを取ることができないので,表に加えることができなかった。2003年度に行われた入試状況は,応募者401名で合格者90名,90名の合格者の内,CFPTの合格者は,18名であった。

 BTSコースは開設当初高い倍率を示したが,2002年には倍率が急激に低下した。この原因はいろいろと考えられるが,その主たるものは,CFPTの難易度が周辺に認知され,受験者に敬遠されてきたことによるものである。その裏付けとしては,BTSコースの夜間の学生を募集したところ,かなりの応募者があったことからもうかがえる。

 先に述べたように2004年10月から新科が展開され,同年12月に新実習棟,学生寮が完成する。

 それに併せてBTSコースの定員も倍増する。このように施設の拡大,定員の増加が,受験生の増加にいい影響を与えて結果的に質の高い学生の確保が継続されるだろう。質の高い学生が輩出されればさらにCFPTの社会的信用は高まり,CFPTで勉強したいという人たちが増えていくものと予想される。そのため夜間コースも今以上の人気が高まり,安定した訓練生の確保ができると思われる。このように訓練生の確保が安定していけば,それが施設予算の安定につながり,さらに発展すると思われる。

5.技術移転

 CFPTにおいて技術移転は,モジュール方式を用いて行われた。モジュール方式とは,技術移転の内容を大別し,さらにそれを細かく分けてこれ以上分けることができないレベルまで分けた内容をモジュールと呼ぶ。“いつ”,“だれが(どの専門家が)”,“何を(モジュール名)”,“だれに(どのカウンターパートに)”,“どのレベルまで”技術移転を行ったのかがわかるようにしたモジュール表を使用しながら技術移転を行った。特に“どのレベルまで”という項目には,A(訓練,教材作成,カリキュラム作成ができる),B(訓練,教材作成ができる),C(訓練ができる),=(技術移転を受けていない)の4種類の記号を記入するのであるが,記入する際,レベルはカウンターパートの自己申告によるものである。例えば,日本人専門家からみてあるカウンターパートの技術移転状況がAと判断しても,カウンターパートがBと申告すればBという評価を記入する。このようにこのモジュール表は,カウンターパートと日本人専門家が一緒に話し合って作成するので,お互いが納得したうえで技術移転が行われる。またモジュール表をもとにカウンターパートが日本人専門家に直接言いにくいことがあっても,リーダー・校長会議でもその表をもとに問題点を話し合うので,問題点を隠すことなくできるだけオープンに技術移転状況を把握することができた。実際このモジュール表は,技術移転の進捗状況を把握するのに使用され,どの分野が完了し,どの分野が遅れているかなどを日本・セネガル両サイドで確認することができた。技術移転の進捗状況を確認するときに,セネガル側から「日本人は何も教えない,かってに短期専門家を決めた,機材を勝手に注文した」ということを言われたのだが,このモジュール方式にした後からはそのような誤解は皆無になった。われわれ日本側は,モジュールの完了は,2人以上のカウンターパートをレベルAにしたときと内部で決めていた。セネガルの技術移転の状況を考えると非常に困難であると思われたのだが,リーダーや,科のシェフの協力のおかげで,技術移転達成度は学科が100%,実技が98%達成することができた。言葉だけだと行き違いや誤解が生じやすいが,表をもとに議論しあうと行き違いや誤解を最小限に食い止めることができる。何事も議論をするときは,お互いが確認しあったデータをもとに議論を行えば建設的な前向きな話し合いができるのではないかと思われる。どんな小さな会議でも必ずメモをとることが大切である。言葉で意味が通じなければ絵を書いて説明すると,ほとんど間違いなく理解させることができる。

6.考察

 CFPTは,セネガル国内はもとより西アフリカにおいてよく知られている施設である。そのため,CFPTはいつも見学コースに入っており,西アフリカだけでなく,日本からの訪問者があると,必ずといっていいほど見学にやってくる。見学者に,20年前の機器がまだ現役で稼働し,実習場が整理整頓されているのを見せると,皆驚かれる。日本人が撤退したあとのプロジェクトは,機器が壊れ実習ができなくなり実習場も荒れ果て数年でだめになるのがほとんである中で,20年経った今日でも稼働してセネガルの職業訓練の中心的施設であること自体がすごいことである。これも第1フェーズで活躍された日本人専門家が,また第2フェーズの日本人専門家が頑張り,整理整頓や運営法などの技術移転が成功しているからこそ,機器や実習場が今日までも保たれているのである。故にダカール市内にある官庁内でも“CFPTはすばらしい訓練をしている”ところとして高い評価を得ている。

 CFPTを受験する人は多く,また落ちる人もその分多くなる。そのため,2004年10月から定員を倍増することにしており,現在,先に述べたように日本政府の無償援助を受け,教室・実習棟,多目的棟,学生寮の建設が行われている。これらの施設が完成するのが2004年12月の予定である。これが完成すると,現在の制御技術科が電気制御コースと機械制御コースに分かれ,全部で3コースの訓練が実施されることになる。コースが充実していくのは非常に喜ばしいことではあるのだが,そこに配置される指導員の補充が間に合うのかどうかが心配である。質のいい指導員はどこでも不足している。コースを充実させると同時に指導員の育成も急がなくてはならない課題である。今,セネガルは非常に早いスピードで発展している。人がダカールに集まり,交通渋滞はひどくなり,さらに建設ラッシュである。これからさらに高いレベルの技能・技術者がたくさん必要とされると思われるので,CFPTのもつ役割は,これまで以上に重要になるであろう。

7.日常生活

 セネガルの生活は,日本に比べて時間がゆっくり進んでいる。午前7時に起床し8時にCFPTに着く。8時50分から専門家会議を開き,9時30分にはそれぞれ仕事に取り掛かる。ほとんどこの繰り返しである。毎日何かの技術移転を計画しているが,ほとんどが計画倒れである。カウンターパートが来ていないのである。理由を聞くと個人的な用事が入っていたり,宗教的な用事が入っていたりさまざまである。技術移転の年間計画,月間計画は,日本・セネガル両サイドの確認のもとに作成されているのであるが,なかなか計画どおりに進まない。そこで何とか技術移転を進めるために私は,専門家の部屋から現場に常駐するようにした。そうすることにより彼らの空いた時間を見つけだし,「今から技術移転をしようか?」とこちらから声を掛けて技術移転を行い,モジュールの消化をすることができた。カウンターパートが1人も来ないで,私1人が実習場にいることも何日もあった。リーダーが見回りにきたときなど「技術移転とは,そんなものだ……」と励まし?の言葉をもらったりした。そんなときは,本当にむなしいものであるが,そのとき私は,いつも“あせらず,あわてず,あきらめず”という言葉を思い出しながら気を取り直していた。

 それでもカウンターパートはまだましなほうである。CFPTの外では,これ以上に不愉快な思いをどれくらい体験しただろうか? 帰国間際に電気,水道,ガス,家賃などさまざまな契約を解約するのであるが,特に苦労したのが携帯電話の解約であった。携帯電話を契約するときに保証金を支払う。これは,解約時には,諸経費を差し引いてもし残金があれば戻ってくるものであるが,私が解約したとき少し残金があった。解約したときが2004年1月でそのときすぐに残金をもらえるものと思っていた。しかし待っても待っても残金を払ってもらえず,いろいろなコネクションを使用して2004年3月の半ばに残金を支払ってもらった。また2001年10月に請求した保険について保険会社から問い合わせの電話があったのは,2003年12月であった。日本では信じられないことだが,セネガルではよくあることである。しつこくしつこく請求してやっと向こう側が動くということである。途上国では,“あせらず,あわてず,あきらめず”の精神が重要であることを身をもって感じることができた。プロジェクト運営において,リーダー,業務調整員,JICAスタッフ,専門家の連携も重要である。今回は,特に業務調整員,JICAスタッフに恵まれ,私事でトラブルに巻き込まれても大きな事件に発展することなく乗り越えて行けたのもお互いの良好な関係があればこそと思う。途上国において大切なことは,肉体的健康と精神的健康の維持である。両健康を維持するために一番簡単なことはスポーツをすることであると思う。テニスでもゴルフでも何でも結構である。健康維持のためたくさんの汗を流しストレスを発散させることをお勧めする。私の場合は,バドミントン(セネガルバドミントン部初代部長も務めた),テニス,ゴルフ,ソフトボールと下手の横好なれどで参加させてもらい,大きい病気もすることなく任期を終えることができた。またスポーツのおかげでたくさんの日本人や外国人と友達になれた。スポーツにはルールだけで,難しい言葉が要らない。スポーツは,さまざまな人と交流を持つには最も簡単な手段ではなかろうか?

 最後に今回セネガルでのプロジェクトに参加するさせていただき,アフリカの自然の厳しさ,そこで活躍しているたくましくすばらしい日本人を知ることができた。またチャンスがあるならば今以上に自分を高め,また途上国へ行きさらなる貢献をしたいと強く思った次第である。