職業能力開発技術誌 技能と技術 Vol.48 2013年6号 通巻第272号
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-45-若者達に伝えたい技術短期大学校生からの応募が有り,その採用にも取り組んだ。その結果として感じることは,これまで面接で対応した高専生や技術大学校生は,学士などという学歴はなくても,学校の教育方針の下で勉強の習慣を身につけ,基礎となる知識や技術を良く学び,素直な就職意識を持ち,年齢相当の大人に成長しているということである。このグローバリゼーションという厳しい環境の中にある日本社会の将来に取って,私は彼らに大いに期待したいと考えている。2.学生達との接触体験から 私は7年前にビジネスの第一線を退く以前から,ボランティアとしての講演活動で各地を飛び回っている。その目的は主に次代を担う若者達を対象にして,生まれて74年,社会に出て55年になった私の人生体験を語り,これから生きていく自分の人生を彼らが考える上での参考として提供することにある。 各地の大学から依頼を受け,特別講義や就職ガイダンス・キャリア教育での講師を務めることが多いが,最近では高専でも始まったキャリア教育での講師依頼を受けることも多くなった。正規授業としての高専キャリア教育では,その講義対象生徒が1年生から3年生であることが多い。その講義の開始に当たって,私の最初の一言は,対象学生の学年に関係なく常に「皆さん,高専への入学おめでとう!」で始まる。それを聞いた学生達はキョトンとしているかクスクスと笑い出す場合が多い。それもそのはず,学生達は入学して以来,1年生でもすでに数ヵ月,2年生以上はすでに1年以上もの年月が経っているからである。それを承知の上で私はあえてそのように話し始める。その「おめでとう!」という言葉には,この学校の学生達が,「私が学士としての価値に疑問を持つような大学に進学せず,この学校に入学してよかったね」という思いがある。もし私が,最近採用活動で取り組み始めたあの公立技術短期大学校でキャリア教育講師を務めることになったとしても,私はきっと高専同様のあいさつで始まることになると思う。それはなぜか? 私は教育の原点は人間育てだと考えている。まずは子どもたちを年齢相当の人間に育て,器を広げ,その器に人間として,社会人として生きていく上で必要な知識や技術を満たし,それを活用する力を持った人間に育てることだと考えている。 そのようななかで大学は教育の場としての最高学府である。しかしながら私が長年の採用活動で出会った大学生達は,卒業に必要な単位数の取得には関心があっても,学ぶ意欲に欠けていると感じることが多い。大学は知識の詰め込みは行っても,人間育てにどれほどの関心があるのだろうかという疑問を感じさせることが多い。人間育てをせず,器を広げることもせず,ただ知識や技術を詰め込んでも,詰め込んだはずの知識や技術は器に入りきれずにあふれ出し,一方で残った知識や技術も生かされず宝の持ち腐れとなるだけである。大学卒意識はあり理屈は言えるものの,知識は浅く,狭く,潤いのない乾いて表面的,How to 的である上に,その行動を見ていると22歳にしては精神的に幼稚で中学生並との印象で,その上に遊び癖がつき過ぎていると感じる学生が多い。3学年修了時点での取得単位数は110~120単位程度で,4年間を通して最終的には125~135単位前後で卒業できるという。 ところが私が採用面接で出会う高専生の多くは「面接試験での対応は大学生のそれに少しも劣ることなく,落ち着いて自己主張もでき,年齢相当の大人に成長しているだけでなく,なんと言っても勉強癖が身についている」という実感がある。最近新たに採用を始めた県立技術短期大学校生は,入学初年度だけでの取得単位数が80単位ときわめて多く,面接試験でも落ち着いて適切な対応ができ,高専生同様勉強で鍛えられているとの実感がある。全国すべての大学生,すべての高専生や短期大学校生がそうだというつもりはない。しかしながら採用を通じての多くの経験から,私は「高い授業料を払ってまで大学に進学しなくて良かったのではないか」との思いから,つい高専生に対しては「高専への入学おめでとう」と言ってしまうのである。このことは短期大学校生に対しても同じかと思う。

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