職業能力開発技術誌 技能と技術 Vol.48 2013年3号 通巻第273号
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-15-障害者に対する職業訓練2ることである。前述したように,職場からトスカに相談されるきっかけは,一般的な対応ではうまくいかない,互いに追い詰まってしまう,その現実に対してどう理解したらいいのか,また具体的な対応を求めるところから,本人に「発達障害があるのではないか」と行き着き,うまくいかない原因は“障害”があるからと仮説をたてると納得がいく,腑に落ちるというもので,「発達障害」と名のあるセンター,トスカ相談につながるきっかけになっている。 トスカは医療機関ではないため,検査や医学的な診断をすることはできないが,来談者の相談主訴をもとに,まず事態のとらえ直しを行っている。職場における本人の具体的な様子(実態)をきき,本人に関係する周囲の人の認識と併せて本人の立場に立った状況の見方や感じ方,言動の有り様に対して仮説をたて,対応のあり様について来談者とともに考えていくものである。 そこで来談者自身が,どうとらえるか,何をとらえるのか,相談のあり様はさまざまである。「こちらから求めることが,やはり本人にとって難しいことなのか,だからできないのか」「(本人の言動・対応が通常と違うことが)あり得ないことと思ったが,あり得るのだ」と納得される人,原因に囚われない人などその後自分の対応を変えられる人もいれば,「(本人の変わった言動・対応が)どうしてなのかが理解ができない」,対応の工夫をする(自分の対応を変える)余裕はなく「本人を変えさせたいという気持ちが変わらない」「なんとか本人を受診させる方法はないか」と“違い”の原因をはっきりさせたい人,自分の囚われでとどまってしまう人もいる。後者のケースでは,来談者が自分自身に気づくことができるかといった相談となる。 本人(来談者にとっての他者)に気づき,また自分自身に気づけるかで,煮詰まった関係性が変わり得る。どの相談も困難さを抱えたものだが,本人を変えさせることが難しいと気づき,自分の認識や対応を変えようと柔軟性をもった人とは,その後,本人との間で信頼関係を築き相互の負担を減らす経過をみることができる。「困った人」ではなく「困った事実」に対して整理し,対応を考える手立てに繋がるか,客観的な視点とゆとりを取り直す機会に繋がるかどうか,そこに岐路があるように思う。 ある相談ケースで,「本人にかかわる側は,本人のできないことに着目しがちだが,本人ができることに焦点を当て『その人を生かす』視点が重要だ」と,私たちが主張することが確認されることがあった。それは,来談者としての雇用主が,「部下に発達障害があるかもしれない」ということをきっかけにトスカ相談に来所されたケースで,その相談主訴は,本人への対応についてであった。相談の中で来談者は,「困っていることが周囲の人に言えない」本人の側から事態をとらえ直し,その後本人と話をする機会をもち,上司と部署を変更することになった。それまで休職されていた本人は出社できるようになり,体育会系の上司から替わった穏やかな年配の上司との間で安定し,新しい業務に取り組み事態は好転したと,わざわざ本人と一緒に報告のため来所された。そのときの面談の会話には,「発達障害」にかかわる言葉は発することなく,「困ったことを相談できる人がいる」ということを確認,共感する機会となった。この好事例は,本人の健康性に着目し事態を整理し柔軟的に対応ができたケースとして,本人との関係性のあり方や支援の方向性を示されたものであった。 一見して社会のフレームに馴染まない人に対しては,否定をしたり,嫌って排除したくなる,また社会のフレームに一方的に合わせようとしがちになる。特に社会性を求められる職場の人間関係においては,本人のできなさのみにとらわれ,本人のみを対象にとらえて考えやすい。「共に働く」ためには,支援者として「本人側にたって事態をとらえ直す」という発想の転換が求められるのである。4.「発達障害」があるとは 「発達障害のある人」の状態像はさまざまで,発達障害者支援と一口に言っても,その対象や内容については,診断名やライフステージで区切られることではない。生来的に,障害があることによっておこる「生きにくさ」は,乳幼児期における母子の愛

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